私たちはなぜここにいるのか。私はなぜ創造されたのか。「人生」と呼ばれるこの営みには、どんな目的があるのか。
創造を本質的な使命とする芸術家にとって、こうした大きな問いは深く実感される。人間のありようこそ、私たちの仕事の中心だ。もっとも、それを職業として思索できるのは、きわめて恵まれたことでもある。何百万人もの人々が食べていくためのお金を得ようともがく一方で、私たちは芸術を作ろうともがく。だからこそ、真摯な芸術家は誰もが、いつか自問する。自分の仕事は役に立つのか、誰にとっても意味があるのか。それとも、ただのぜいたくなのか。
創作を実践し、教える者として、私はこの問いと絶えず向き合っている。
美、アイデンティティー、言説、記録、称揚、あるいは単に悪臭を暴くことさえ、人類に確かに恩恵をもたらす。しかし、気候変動が憂慮すべき速さで進み、戦争で故郷を追われた何百万人もの人々が多くの場所で歓迎されず、指導者たちが権力の乱用を正当化することが増えるなかでは、物語を語ったり彫刻を作ったりする価値を疑いたくなる。そもそも、絵画は人々に何をもたらすのか。作家は大統領にどう立ち向かえるのか。
より大きな真実を明らかにする
答えは、おそらく芸術そのものの中にある。一つの成功が、ほかのすべてに秘められた可能性を証明する。
2003年、米国務長官コリン・パウエルが国連でイラクへの宣戦布告を行うことになったときのことを覚えているだろうか。パブロ・ピカソのタペストリー「ゲルニカ」は覆い隠された。市民へのファシスト勢力の爆撃を描いたその絵は、直視するにはあまりに恥ずべきものだと言われた。戦争を戒める歴史上最も偉大な作品の一つを前に、いわれのない戦争をどう論じられるだろうか。
しかし、事情はどうやらもっとありふれたものだった。カメラの撮影クルーは、立って話す政府関係者の背後にキュビスムのタペストリーがあると、背景が雑然として見えるのではないかと懸念しただけだった。また、記者会見に出席するジャーナリストが増え、廊下の先にある、より広い会場が必要になった。
伝えられるところによれば、こうした事情が「ゲルニカ」が(いわば)検閲された理由だった。しかし、どんな理由であれ、それを覆い隠したことで、世界中に響き渡る、より大きな真実が明らかになった。暗黙の皮肉が、明示的な批評へと変わったのだ。ピカソがこの絵を発表したのは1937年。それから66年後、彼の死から36年がたってもなお、画家は私たちに語りかけていた。

言葉という問題
私が文学と創作の教授を務めるニューヨーク大学アブダビ校では、ある授業で「ゲルニカ」が成し遂げようとしたことを実現しようとした本を取り上げている。「世界を変えた小説」では、個人や文学の領域を超えて影響を広げ、革命を起こし、植民地支配の虐待を取り上げ、公共政策を改善し、文化的アイデンティティーを築き、あるいは抑圧的な教義に異議を唱えた、数少ないフィクションについて学生たちと考える。世界各地の作家が書いた10冊は、ほぼ1世紀半にわたる作品だが、「アンクル・トムの小屋」から「悪魔の詩」まで、どの作品にも重要な共通点がある。
1896年、フィリピンの国民的英雄ホセ・リサールは、植民地支配下のスペイン人修道士たちの横暴を風刺したとして、反乱、扇動、陰謀の罪で裁判にかけられた。その一連の出来事は、彼の小説「ノリ・メ・タンヘレ」から始まった。
その結末は誰もが知っている。スペインを追放する革命の前夜、彼は銃殺された。しかし、その革命は後にアメリカに乗っ取られた。
1930年代初頭、エーリヒ・マリア・レマルクが戦争を率直に糾弾した「西部戦線異状なし」は世界中に響き渡った。その反響は大きく、内反足で自信のない小男、ヨーゼフ・ゲッベルスが、映画版の上映を襲撃する暴徒を組織するほどだった。これはナチスの暴力行為の初期の事例の一つだった。ドイツとオーストリア各地で何千人もの人々が怒りにまかせて映画館を襲撃し、映画は上映禁止となり、小説は焼き払われた。ゲッベルスはこうした襲撃を「ドイツ精神の浄化」と呼んだ。やがてレマルクは市民権を剥奪され、自国を逃れた。その間も政権は「非人間」に対する致命的な攻撃を続けた。
その結末は誰もが知っている。大陸が戦争で荒廃するなか、何百万人もの人々が組織的に殺された。
1989年、サルマン・ラシュディは、自らが育った宗教であるイスラム教を「乗っ取った」「有力な聖職者集団」を批判したと述べる小説を発表した。イランの最高指導者アヤトラ・ホメイニがファトワを宣言する前から、ラシュディは「現代の思想警察だ」と書いていた。ホメイニは、過去に亡命した経験を風刺されたことに腹を立てていた。小説では、権力を望む亡命中のイマームとして描かれていたのだ。ホメイニはこの本を、「世界を食い尽くす者たち」の道具であり、「シオニズムと傲慢さのすべてを背後に持つ」「植民地主義」のための「計算された」陰謀だと非難した。ラシュディは身を隠し、出版に関わった人々は殺害、刺傷、銃撃、放火、爆弾攻撃の被害に遭った。ホメイニによれば、これは「誰もイスラムの神聖さを侮辱しようと思わないようにする」ためだった。
その結末は誰もが知っている。いまや多くの人が「言論の自由には責任が伴う」と確信している。だが、何が「責任ある」言論かは、結局いつも権力者が決める。
授業で学生たちは、読書リストの小説がどれも、その時代の不正義に異議を唱えることで、今日の不正義も浮き彫りにしていると気づいた。どの本にも、声を上げようとする揺るぎない姿勢があると分かった。

みんな、手を挙げて
沈黙は同意を意味すると言われる。しかし、それは話の半分にすぎない。沈黙は抑圧をも追認する。声を上げる力が、あまりにも多くの場合、特権を持つ人々だけのぜいたくだからだ。
今日目にする攻撃的なポピュリズムは、人々が沈黙を拒んでいる証しのように見える。それは当然のことだ。私たちの社会は、すべての人に平等な機会を与えることに、おおむね失敗してきた。そしてテクノロジーは今、声を届け、抑圧的な考えや仕組みに反抗する新たな道を開いている。新たな指導者たちはそこに目をつけ、私たちに代わって語ろうとしている。恐怖や不信をあおり、私たちを粗雑に結束させようとする者も多いのに。
どんな状況であれ、生があるところには希望がある。生は可能性を示すからだ。ここで、意外に思えるかもしれないが、文学と創作が関わってくる。
1969年、シンガポールの首相リー・クアンユーは、こう述べたことで知られる。「詩は、私たちには手の届かないぜいたくだ。生徒にとって大切なのは文学ではなく、人生哲学だ」。この点で、目覚ましい発展を遂げた小国の建国の父は間違っていた。人生哲学こそ、まさに文学が私たちに教えてくれるものだ。
最古の聖典から現代小説まで、本を一冊開けばいい。モーセは奴隷になることを拒み、オデュッセウスは権力者に真実を語り、アティカス・フィンチは正義を曲げず、ハーマイオニー・グレンジャーは物事の進め方を示してくれた。プラトンは公正な国家を思い描き、トマス・ペインは普遍的人権の重要性を説き、ジョン・スチュアート・ミルは個人の力を高め、表現の自由の必要性を明らかにした。
それらはすべて、紙の上にも、ネットの世界にもある。個人と社会、悲劇と勝利、正と不正、価値観と理想—リー・クアンユーが説いた人生哲学は、書店や図書館、インターネットを通じて簡単に手に取れる。
文学に知恵があるというのは一般に認められている一方、創作は昔から、より高尚で近寄りがたいものと見なされてきた。個人の心を癒やすものとして称賛されることはあっても、社会参加を促す手段とは考えられてこなかった。そもそも、仕事を得なければならないとき、国を建国しなければならないとき、戦争に勝たなければならないとき、あるいは人々の身体と政治をがんがむしばんでいるときに、詩を書き、物語をつづることに何の意味があるのだろう。
しかし、創作は誰にとっても、声を上げるための最高の訓練になり得る。小説を読んだことがあり、聖典を聞いたことがあり、映画やテレビを見たことがあり、歌を聴き、民話を学んだことがあるなら、あなたは人生を通じて物語の仕組みを学んできた。自分で物語を作ってみれば、芸術に挑むだけでなく、欠かせない技能と人生の教訓も身につく。
フィクションは、登場人物や共感、筋立てとその帰結、そして真実におけるニュアンスの価値を教えてくれる。詩は、言葉を凝縮し、沈黙を大切にし、比喩を理解する方法を教える。ノンフィクション(もちろんジャーナリズムも含む)は、事実に対する責任、社会の仕組みを批判的に考えること、そして世に出て他者の声に耳を傾ける大切さを教えてくれる。これらは、創作を通じて学べる技能のほんの一部だ。
こうした人生の教訓は、民主主義に不可欠ではないだろうか。声を持つことは、一票を持つことだ。一票を持つことは、社会に代表されることだ。自分の考えを明確に、自信を持って伝えれば、私たち市民は自らの懸念や地域社会の不満を表明し、自分たちの責任を引き受け、指導者にも責任を求められる。自分の主張を適切に言葉にする訓練を受けていなければ、正当な形で声を聞いてもらうことはできず、あまりにも簡単に無視されてしまう。
民主主義について言えば
私自身の人生哲学は、物語を語る芸術から生まれた。善は悪に必ず勝ると知っているからこそ、敵意に満ちた世界で公に関わり続けている。この一見ナイーブな考えは、独裁者や大量殺人者が自分について語る物語によって証明されている。
たとえばアドルフ・ヒトラーは、自らの正義を確信していた。愛犬ブロンディをかわいがり、自国を誇り、高潔な目的は暴力的な手段を正当化すると考えていた。同様に、2001年9月11日に世界貿易センターへ航空機を突入させたテロリストたちは、自分たちをはるかに超える栄光のために行動した。歴史的不正を英雄的に正そうとしているのだと、彼らは考えていたに違いない。善は必ず勝つという考えは、客観的に邪悪と証明された、ゆがんだ精神の中でさえ生き続ける。
しかし危険なのは、そうしたゆがんだ物語を他者が信じることだ。私の故郷フィリピンでは、物語をめぐる目に見えにくい戦いが起きている。そこでは正義が変わらぬテーマとなっている。
何十億ドルもの金を盗み、10年以上にわたって民主主義を否定した独裁者フェルディナンド・マルコスの物語を、彼の子どもたちと、非民主的な遺産から利益を得る同盟者たちが、死後に書き換えている。人権、適正手続き、そして民主主義に欠かせない抑制と均衡を損なうため、権力者たちは偽ニュースサイトやネット上のプロパガンダ拡散者を動員している。抑制と均衡を備えたこの仕組みは、平等に向かう最善の道であり、虐待的になりかねない指導者を流血なく交代させる唯一の方法であり続けている。
歴史は勝者によって書かれると言われる。そして、それによって勝者が勝者であり続けることが、ほぼ確実になる。フィリピンでは、選挙で選ばれる高位の公職のおよそ80%が一族によって握られていると推定されるのも、そのためだ。こうした一族は家業として政治を営み、常に身内と国家の間に利益相反を生む。物語を語るのは彼らだ。
だから私は新聞に寄稿し、小説を書き、創作を教えている。長期的な取り組みだと考えているのだ。後の世代と対話し、彼らが過去の過ちから学んでくれることを願っている。だが時には、指導者たちがあまりに権力の座に居座り、芸術家に残された手段は最後に一言を放つことだけに思える。指導者たちが自らのために建てる青銅像より長く残ることを願い、作品の中で、容赦なく正直に、嘲笑を込めて断罪するのだ。それさえ敗北ではある。フィリピンではそれをコンスウェロ・デ・ボボ—愚か者への慰め—と呼ぶ。最後の一言は、慰めとなり、力強く決定的なものになるかもしれないが、やはり事後のものだ。
先を見据えた取り組みとは、他者が力強い声を持てるよう支援することだ。そうすれば、市民である私たちは、満足のいかない指導者たちが次の選挙に向けて私たちの分断に乗じる間、日々の怒りをめぐってフェイスブックやツイッターで誤った議論を繰り返すだけではなくなる。
不処罰への解毒剤は、責任を問うことだ。誰もが知っている。しかし、私たちの声が結果をもたらすものでなければ、責任を問うことはできない。ひとりの声や、教育を受けたエリートの声では、声なき人々を正当に代表できず、真の影響力を持ち得ない。声が一票なら、より真に民意を反映する代表と、より良い指導者を求める声を、多数派として上げなければならない。
取り組むべきことが明らかに残されている。すべての芸術が包摂的である必要はないが、排他的であってはならない。文学も創作も、ぜいたくとして特権化されてはならない。そうすれば、私たちの物語はあまりにも簡単に支配されてしまう。芸術そのものが世界を変えないとしても、世界を変える人々に力を与えられることは、明白だ。
