「翻訳できない」言葉が英語話者について物語ること

A photo illustration shows a 2nd edition copy of The Macquarie Concise Dictionary, the authority on the English language in Australia, on a coffee table in Sydney October 17, 2012. A fiery speech against sexism by Australia's first female Prime Minister Julia Gillard has prompted the textbook of Australian English to redefine the word "misogyny" to better fit the heated political debate raging downunder. REUTERS/Tim Wimborne (AUSTRALIA - Tags: POLITICS SOCIETY)
Where we get our words from tells us something about our history.Image: REUTERS/Tim Wimborne
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「ヒュッゲ」という言葉が数年前、デンマーク国外で人気を集めたとき、それはかぎ針編みの毛布にくるまり、暖かなセーターを着て、お茶を飲みながら『ブリッジ』を続けて見るときの気分を表すのにぴったりの言葉に思えました。しかし、そんな特定の概念を表す言葉を思いつくのは、寒い北欧の夜を過ごすデンマーク人だけなのでしょうか。そして、コーヒーを飲みながらおしゃべりすることを表す動詞「フィーカ」を必要としたのは、スウェーデン人だけなのでしょうか。

インターネットには、英語に一語で対応する言葉がないとされる言葉があふれています。英語に本当に対応語がないと言うには、それが単一で分割できない意味の単位でなければなりません。句は無限に作り出せ、異なる言葉を組み合わせれば必要に応じて作れるからです。たとえば、アダム・ジャコ・ド・ボワノーは著書『こんな言葉があるなんて知らなかった』で、英語にはない「歯と歯の隙間」を表す言葉がマレー語にあると主張しています。それが「gigi rongak」です。ところが、これは句のようで、文字どおりに訳せば、まったく申し分のない英語表現「tooth gap(歯の隙間)」になります。

実際、英語には歯と歯の隙間を表す一語の専門用語「diastema」さえあります。確かにこれはギリシャ語ですが、英語で使われているので英語の単語でもあります。それが何か問題なのでしょうか。

言葉の由来をたどると、私たちの歴史が見えてきます。たとえば、アンデス山脈や南米高地の先住民が話すケチュア語を考えてみましょう。「本」を意味するケチュア語の「liwru」は、スペイン語の「libro」に由来します。スペインの植民者が征服した人々に文字による言語表記を持ち込んだからです。実際、英語には今や「ヒュッゲ」を表す言葉があります。それは「hygge」です。

言語に映る文化

エスキモーには雪を表す言葉が50語あるとよく言われますが、これは徹底的に覆された神話です。おそらく最初に覆したのは、1986年のローラ・マーティンでしょう。「エスキモー」という語自体、いささか意味が曖昧ですが、北極圏のイヌイットやアレウトの人々が話す言語は、非常に総合的な構造を持っています。つまり、それぞれの「単語」が多数の部分、すなわち「形態素」から成ることがあります。

Image: サウス・チャイナ・モーニング・ポスト

これらの言語では、句全体が一つの単語に含まれることがあります。一つの「単語」が文字どおり「降り積もった雪」を意味することもあります。そう考えると、これらの言語に「雪を表す言葉が50語ある」というのは、英語で雪について話す文が50通りあるのと同じくらい、特別なことではありません。

それでもこの神話や類似の話は広まっていきます。言語が私たちの精神について何かを明らかにする、あるいはひょっとすると精神を形作るという考えに、私たちが強く関心を寄せるからです。経済学者キース・チェンは、未来と現在を文法上別々に表す言語の話者は、健康やお金に関してより無謀に行動することを示そうと、かなりの労力を費やしてきました。彼は、未来時制を明示することで、話者は未来を現在とは別の、より遠い時点として意識するようになり、それが行動にも相応の影響を及ぼすのだと論じています。

多くの言語学者は彼の結論に一定の疑問を抱いていますが、中心となる主張はニュースになり、人々はその考えに興味を引かれました。

誤った文化的判断

一方、慎重な実験によって明らかになっているのは、概念を表す言葉があると、それをより簡単に、あるいは素早く名付けられるということです。しかし、ある概念を表す言葉がないからといって、その概念を思い描けないわけではありません。その逆も同様です。たとえば、多くの言語には性別に中立な代名詞(「彼」と「彼女」に同じ語を使う)がありますが、そうした言語はジェンダー平等の度合いが非常に低い文化でも話されています。

これは明白に思えるかもしれません。オーウェルのニュースピーク(『1984年』)がまさにそうです。オーウェルのディストピアでは、「自由」という言葉から個人の自由を意味するあらゆる意味が取り除かれ、犬にシラミがついていないという意味でしか使えなくなりました。それによって、オセアニアの市民がそのような自由を思い描く能力を奪うことが意図されていました。しかし、これは単なるSFではありません。言語学者が常に心に留めている重要な注意点があります。他の文化について主張することは、その文化を「異国趣味化」する危険を伴うのです。

最悪の場合、それは人種差別につながります。アリゾナ州のホピ族は、自分たちの言語に関するベンジャミン・リー・ウォーフの研究を誤解したことから、時間を表現する方法がないと主張されることがあります。そのため一部の人々は、ホピ族にはバスの時刻表に従えない、あるいは決められた時間に出勤できないと考えました。明らかに問題を招く誤った思い込みです。

しかし、オーストラリアの一部の言語が空間を方位で表す(「北」)一方で、自分を基準とした位置(「私の左側」)では表さないという、一見無害な結論でさえ、英語話者が言語や認知についての知見を見落としがちであることを示しています。恣意的な英語中心の基準に照らして物事を測ることに追われているからです。言語ごとの慣習は、たいてい異国的でも珍しくもありません。ただ、英語話者は自分たちの言語が標準となっているため、非常に恵まれた立場にあります。他の言語を話す人々は、異質なよそ者と見なされます。

私は何もかもに水を差すつもりはありません。「翻訳できない」言葉には今も心を躍らせます。言葉を知ることで、ヒュッゲのように、漠然としていながらもよく分かる概念が具体的になる。それは特別なことです。あるいは、その見事にぞっとする反対語、ウヒュッゲもそうです。ただ、「Xを表す言葉がない」「Yを表す言葉が50語ある」といった主張や、最近インターネットで話題になった「tag」は「touch and go」の略だという主張に出会ったときは、健全な懐疑心を持つことを勧めます(皆さん、残念ですが違います)。

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