1999年の冬、パリのある夜、私はメヘルとシェール・アリーというパキスタンのスーフィーの音楽を聴き、人生を変えるような体験をした。世界全体に属しているという、あの広がりのある感覚をほかの人々にも届ける方法を見つけたいと思った。それが、芸術分野でのキャリアへと進むきっかけになった。
「ワールドミュージック」が大きな現象になりつつあった頃のことだ。グローバル化によって、私たちはほかの文化についてより多くを知ることができるようになっていた。私はレコード店のワールドミュージック売り場で何時間も過ごし、世界各地の音楽を試聴した。クレズマー、ボサノバ、アフロビート、グナワ、モンゴルの喉歌に出会い、そのすべてに夢中になった。西暦2000年を目前にしていた。ミレニアム・バグさえ乗り切れば、すべてうまくいくはずだった。
その後、9・11後のニューヨークで学生をしていた頃、遺産とは構築されたもの、つまり人々が自分たちを唯一無二たらしめるものを表現する方法なのだと学んだ。何かが最初から遺産として始まるわけではない。ジャズやモンゴルの喉歌のような音楽ジャンルも、型を破り、新たな道を切り開く前衛的な表現として始まり、やがて十分な人々がそれを自分たちのものと認めるようになれば、私たちはそれを自分たちのものとして受け入れる。
その後、バリ島で調査をしていたとき、最も「本物」と考えられる芸術表現でさえ、その多くが異文化との交流を通じて生まれてきたことを知った。たとえば、バリの伝統音楽はジャワの宮廷音楽から大きな影響を受けていた。また1930年代には、ドイツとオランダの芸術家や民族音楽学者が、古くから行われていた治療を目的とする芸能を発掘した。それがケチャである。彼らはこれを独立した芸術形式として復興させる手助けをした。今では、バリの人々自身も含め、バリの伝統芸術と見なされるものの正典の一部として確固たる地位を占めている。
本物らしさは、見る人の目に宿るようだ。昨年12月、ジョニー・アリディの死去と国葬をフランスのメディアが連日大きく報じたことは、多くのフランス人にとってフランス人であるとはどういうことかを体現したミュージシャンの絶大な影響力を示していた。皮肉なことに、フランス人のエルヴィスが体現したアメリカのユートピア的な理想こそが、彼をフランス人に愛される存在にした。一方、アメリカ人にとっては、彼のことを知っていた人々にとってさえ、彼はフランス人らしさが足りなかった。
アイデンティティや文化を直線的に描いても、全体像は伝わらない。文化は本質的に交流を通じて生まれ、絶えず動いている。文化にはそれぞれ固有の特徴があることは否定できない。しかし、その進化の過程や、より広い世界とのつながりを誇張したり過小評価したりすれば、大きな危険を招く。
今、私たちは二つの極端な立場の間にとらわれているようだ。一方では、グローバル化によって文化の見た目や感触がますます似通っている。他方では、ナショナリズムが台頭し、単一で純粋なアイデンティティという構想を推し進めている。どちらも多様性を損なう。
スティーブン・フェルドが代表的な論考『ワールドミュージックのための甘い子守歌』で指摘するように、「ワールドミュージック」という言葉には、世界の音楽伝統の多様性を紹介すると同時に、その多様性すべてを一つの括りに分類しようとする、根本的な緊張がある。まるで、世界に開かれていると表明しながら、相互のやり取りを必要とせずに他者の文化を消費し、さらには流用したり搾取したりできるかのようだ。
同時に、アイデンティティ政治やポピュリズム的な言説は、文化を分断の手段として用い、誰が仲間で誰がそうでないかを直線的に語る。私たちは心の中にも現実の世界にも壁を築いている。今日、私たちが向き合っている社会的、政治的、経済的な亀裂は、何よりもまず文化的な亀裂である。その根底には、疎外と帰属のあいだの緊張がある。
私が育った頃とは大きく異なる世界を、幼い二人の娘がどう歩んでいけるよう支えればよいのかと考える。明確な陣営をつくり出す分類や単純化には用心すべきだと、娘たちに知ってほしい。文化は対話と尊厳に根ざしている限り、豊かなものになり得るが、搾取や分離主義が絡めば有害なものになり得ること。自分たちの人々や歴史について知っていると思うことを、改めて見直す姿勢が必要なこと。そして未来への橋を架けたいのなら、帰属するとはどういうことかを考えなければならないことも。
かつて通っていたレコード店は、もうなくなってしまった。今では、インターネット上の別の場所で私たちが購入したかもしれないものをもとに、Spotifyが曲をあらかじめ選んでくれる。ワールドミュージックのプレイリストは、ライフスタイルや気分に合わせたプレイリストに取って代わられた。私たちはもう世界について十分に知っていて、自分自身や自分たちと同じように感じ、暮らす人々にもっと意識を向けるべきだと思っているのかもしれない。むしろ今こそ、互いの声に注意深く、好奇心を持って耳を傾けることに改めて取り組むときなのかもしれない。一歩引いて、判断をいったん保留し、他者の中に自分自身のどれほどの部分を見いだせるかを確かめるのだ。
2018年にダボスで開催される世界経済フォーラム年次総会には、「分断された世界で共通の未来を築く」をテーマに取り組む文化分野のリーダー40人が参加する。詳細はこちらこちら。

