アーネスト・ヘミングウェイの作品を保存するための修復センターが土曜日にキューバで開設された。両国の関係は再び冷え込んでいるものの、旧冷戦時代の敵対国同士による協力の一例となった。

ヘミングウェイは1954年にノーベル文学賞を受賞した。彼は、ハバナ郊外のサンフランシスコ・デ・パウラに あり、現在は博物館となっている「フィンカ・ビヒア(見張り台農場)」に住んでいた21年間に、代表作の多くを執筆した。
キューバ国立文化遺産評議会と米国のフィンカ・ビヒア財団によって建設されたこの修復センターは、ヘミングウェイが住んでいた、木陰に囲まれた風通しの良いスペイン風の邸宅がある15エーカー(6ヘクタール)の敷地内に位置している。
「私たちが共に集い、共に働くとき、素晴らしいことを成し遂げることができます」。マサチューセッツ州選出の米国下院議員で、米国とキューバの関係改善を望むジム・マクガヴァン氏は、テープカット式でこう述べた。
マクガヴァン氏は、ドナルド・トランプ大統領が就任以来強化してきた、数十年来続く対キューバ貿易禁輸措置がなければ、このプロジェクトはもっと容易に進んでいたはずだと述べた。
現地の研究者によると、ヘミングウェイは1939年にフィンカ・ビヒアに移り住み、その前年には『誰がために鐘は鳴る』が出版された。彼は同地で『老人と海』『移動祝祭日』『河を渡って木立の中へ』を執筆した。
彼は1960年にキューバを去った。キューバ革命から1年余り後のことであり、うつ病との闘いの末に61歳でアイダホ州で自ら命を絶つ1年足らず前のことだった。
この作家はキューバに数千点の文書を残した。そこには、作品の原稿から手紙、写真、注釈付きの書籍までが含まれている。
この修復センターは、フォード財団、アメリカン・エキスプレス・フィランソロピー、AT&T財団などから資金提供を受けて建設され、研究施設や空調完備の保管庫を備えている。
キューバ国立文化遺産評議会とフィンカ・ビヒア財団は、ヘミングウェイの遺産の保存と普及に向けて、これまでに3つの協力協定を締結していた。
