ここ数カ月、資本主義への批判が高まっています。「ウォール街を占拠せよ」のような抗議運動は、抗議者によれば現在の経済危機の主な責任を負いながら、責任を問われていないように見える銀行家たちの行き過ぎに憤っています。社会のさまざまな層から、反資本主義の活動への連帯を示し、市民に広がる不満を反映する声が増えています。
疑いなく、こうした反資本主義の抗議は、時代の潮流を捉えています。しかし、資本主義の明白な行き過ぎを非難するだけでは不十分です。現在の形の資本主義体制が、なぜ周囲の世界にそぐわなくなったのか、より深く分析する必要があります。
危機が始まった2009年1月、私はダボスでの開会演説でこう述べました。「今日、世界のあらゆる場所の人々が、貪欲や無能に突き動かされ、効果的な監督もないまま、なぜ意思決定が行われ得たのかと問うています。その決定は、世界経済だけでなく、年金や住まい、仕事を失った現実の人々にも深刻な結果をもたらしました。人々は当惑し、混乱し、恐れ、怒りを感じています。」当時、この危機を機に、企業全般、とりわけ金融サービス業界の上級管理職の行動が根本から見直されると期待されていました。それからほぼ3年が過ぎましたが、私たちは過去の過ちからまだ教訓を学んでいません。私たちを危機に陥れた体制は、何年も前から時代遅れでした。体制を刷新する必要性を否定し続けるなら、長期的に危機を克服することはできません。資本主義を改革すべき理由は3つあります。
資本主義は均衡を失っています。実体経済における資本の利用に比べ、投機目的で仮想資本を用いる規模は、合理的な範囲を超えて急拡大し、いまや制御不能です。リスクの均衡を図る金融取引は必要ですが、投機そのものを投機する取引は必要ありません。
本来の資本主義の仕組みでは、投資のリスクを負い、その見返りとして利益を得る起業家と、すべての利害関係者の利益のために会社の長期的な存続を確保することを職務とする管理職との間に、明確な区別がありました。過度なボーナス制度によって管理職は資本所有者の利益と結び付けられ、仕組みはゆがめられました。これが現状の根本的な問題です。過剰な報酬が、管理職の職業倫理を著しく損なっています。
今日の世界経済では、資本はもはや決定的な生産要素ではありません。競争優位は、資本よりも、革新的なアイデアや無形のサービスによって決まる度合いが高まっています。さらに生活水準の上昇に伴い、全般的な重心は量から質へと移っています。明日の経済的成功を左右するのは資本ではなく、「才能」という生産要素です。ある意味で、私たちは資本主義から「タレンティズム」へ移行しつつあります。
世界各地の抗議運動が階級闘争の手段として利用されれば、危険なものとなります。しかし必要なのは、体制の欠陥に必要な是正措置を講じるため、私たちに再考を促す新たなきっかけです。
何よりも、管理職の仕事を再び専門職として確立しなければなりません。才能がいまや成功の鍵となる要素になったという事実は、企業が法外な給与やボーナスを支払う根拠としてしばしば持ち出されます。しかし、才能が重要なのは管理職だけでなく、あらゆる職業においてです。なぜ優れた教師の賃金が、平凡な管理職より低くてよいのでしょうか。なぜ世界的に名高い外科医の賃金が、世界企業の最高経営責任者(CEO)より低くてよいのでしょうか。もちろん理想的には、誰もが責任と実績に応じた報酬を得るべきです。しかし、職業上の主な動機は利益を得たいという欲求だけでなく、使命感であるべきです。管理職とリスクを負う者を切り分けることは、利益を個人が得る一方でリスクが社会全体に転嫁され、事態が悪化した際に平均的な納税者が負担を担うような金融取引を抑制することにもつながります。要するに、行き過ぎた資本主義から、社会的責任と義務が単なる空文句ではない市場経済へ移行する必要があります。
