20年前のこの週、ある軍隊は通常の戦闘任務を一時中断し、塹壕の掘削を追加で行い、照明器具を調達し、結束用の針金と目隠し用の布を集めました。これは通常の軍事作戦ではなく、8,000人の非武装のムスリムの男性と少年を虐殺しようとしていたのです。
目隠しをされ、後ろ手に縛られた罪なき人々の大半は、自動火器で背後から撃たれ、集団墓地に投げ込まれました。殺戮作戦を夜通し続けられるよう、照明器具が持ち込まれました。
より大規模な収容施設では、ロケット推進擲弾も使用されました。一部のケースでは、証拠から加害者が弾薬の節約を選び、銃弾の代わりに屠殺用の鋲打ち銃(captive bolt pistol)を使用した可能性が示されています。その結果、犠牲者の頭蓋骨にはボルト大の穴が残されました。このような器具が使用されたため、数年後、捜査官は集団墓地から回収した遺体の中に、入射創はあるが射出創のないものがあった理由を究明しようとすることになりました。
文明とは言えない。おぞましい。しかもそれは、戦火に荒れたイラクやシリアで起きたのではなく、すべて現代のヨーロッパで起きたのです。
この虐殺は、1995年7月11日に国連の「安全地帯」が陥落した後に始まったものですが、地球の遠い片隅で起きたのではありません。ボスニアで冬季オリンピックを祝うために世界が集まった場所から、車でわずか数時間の距離で起きたのです。しかも、国連監視団やオランダの平和維持部隊を含む国際社会の監視の目の前で起きました。
スレブレニツァ・ジェノサイドは、「ホロコースト以来のヨーロッパで最悪の残虐行為」と呼ばれてきました。
政治的な駆け引きを行い、「ジェノサイド」という忌まわしい言葉を避けようとする人々もいます。最近、国連安全保障理事会でのロシアによる恥ずべき拒否権行使がそれを示しました。しかし旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所は、すべての証拠を聴取し、審理を重ねた末に、スレブレニツァ・ジェノサイドにおける役割で起訴され、ハーグの被告席に立った将軍や将校らについて、合理的な疑いを差し挟む余地なく、戦争犯罪および人道に対する罪で有罪であると認定しました。また、必要な特定の意図が認められた事案においては、「犯罪の中の犯罪」であるジェノサイドの罪も認定しています。
正直に言えば、当初は法廷がジェノサイドの評決を下すかどうか確信が持てませんでした。
私はこの状況を以前にも経験していました。数年前、私はハーグで検察官として、最初のスレブレニツァ・ジェノサイド裁判に関わっていました。最終弁論と判決の間に、私は判決に備えることにしました。その方法として先例を探し、悪がまったく新しい名前を与えられた場所の一つで週末を過ごしました。その場所とはアウシュヴィッツです。
ポーランドにあった悪名高いナチスの絶滅収容所であるアウシュヴィッツは、今日ホロコーストとして知られる効率的な大量殺戮作戦の一部でした。この作戦では600万人のユダヤ人と、数百万人の非ユダヤ人が殺害されました。まさにこの地で、法律家のラファエル・レムキンは、まだ存在していなかった言葉、すなわち「ジェノサイド」を生み出したのです。
ナチスは殺戮作戦において周到でした。しかし率直に言えば、スレブレニツァでの虐殺を指揮したボスニア・セルビア人勢力も同様でした。両者とも指揮系統に従う軍事作戦でした。命令が出され、それが実行され、物資が徴発され、配分されました。実際、法廷に加わる数年前に米陸軍将校として任官していた私は、われわれが聴取した容疑者の中に、真のプロフェッショナルな軍人であった者たちがなぜジェノサイドへの加担を決めたのか、疑問に思いました。
しかし、実際にそうしたのです。そしてそれこそがジェノサイドの数多くの悲劇の一つです。普通の人々、そして職業軍人たちが――正直に言えば、全員が怪物というわけではありませんが、中にはそうした者もいます――かくも故意にこのような恐ろしい虐殺を実行し、幇助し、あるいは教唆しているのです。
おそらく、これほど邪悪な意味を持つ言葉を認めることに対する人々の恐れの一つは、まさにそこにあるのでしょう。その言葉は、コスモポリタンなヨーロッパにおいても、われわれがどれほど「文明的」だと主張しても、なお邪悪になりうることを認めさせるのです。言い換えれば、われわれは同胞に対する共感と思いやりを十分に持たず、その結果、行動するか、あるいは行動しないかによって、ジェノサイドを招いてしまう可能性があるのです。
スレブレニツァへの攻撃に先立ち、ボスニア・セルビア人勢力は「指令7」を発出しました。これは後にハーグで証拠として提出されました。その重要な一節は次のとおりです。「計画的かつ周到に練られた戦闘作戦により、スレブレニツァの住民にとってさらなる生存や生活の望みを一切残さない、耐え難い完全な不安定の状況を作り出すこと……」
ボスニア・セルビア人のラトコ・ムラディッチ将軍(現在ハーグで裁判中)とその手下たちが、世界初の「安全地帯」の陥落による混乱に乗じ、指令7を背景として、8,000人の無辜の人々を殺害する計画を立てたことは、大胆不敵でした。しかし同時に、人々が善にも悪にも機会を利用し、権威の言葉と地位を用いて卑劣な行為を遂行することを、それは物語っています。
今週、「決して忘れない」というあまりにも聞き慣れた言葉を繰り返すなかで、言葉と地位が悪のために操作されうることを思い起こす価値があるかもしれません。ISISが今日まさにそうしているように。そして、イラク、シリア、リビアにおいてであれ、われわれがどれほど頻繁に行動するか、あるいは行動しないことを選んできたか、そしてそうすることの結果について考えてみる価値があるでしょう。
最近、あるバルカン諸国の大使が私に次のように語りました。「行動にも結果があり、行動しないことにも結果がある。」国際社会がスレブレニツァで手をこまねいてから20年が経った今、われわれがどのように行動するか、あるいは行動しないかについて、より思慮深くなれることを願いましょう。そうすることで、われわれは別の追悼式典を行う事態を避けられるかもしれません。
執筆者:Mark V. Vlasic氏は、ジョージタウン大学法・科学・グローバル安全保障研究所の法学客員教授兼上級研究員であり、国連戦争犯罪法廷においてスロボダン・ミロシェヴィッチおよびスレブレニツァ・ジェノサイドの訴追チームに参加しました。元ホワイトハウス・フェロー兼米国国防長官特別補佐官、およびスーダン担当大統領特使の顧問を務め、現在はMadison Law & Strategy Groupで国際業務を統括しています。彼は世界経済フォーラムの ヤング・グローバル・リーダーです。
画像:ボスニア・ヘルツェゴビナ、スレブレニツァ近郊ポトチャリで行われた、新たに身元が確認された136人の犠牲者の再埋葬式で、追悼センターの前に立つ女性。REUTERS/Antonio Bronic
